なぜ大人が「なりきり遊び」に熱中するのか
大人がファンタジーの世界に身を投じ、架空のキャラクターとして振る舞う――。一見すると単なる現実逃避にも見えるこの「なりきり遊び」に、なぜ多くの人々がこれほどまでの情熱を注ぐのでしょうか。
コロラド州立大学のジェフリー・G・スノッドグラス教授らによる最新の研究(学術誌『Transcultural Psychiatry』掲載)は、この素朴な疑問に対し、科学的な視点から鮮やかな答えを提示しています。2021年から2025年にかけて行われた、149名のアンケート調査(平均年齢約30歳)と54名への詳細なインタビューに基づくこの研究は、テーブルトークRPG(TRPG)が単なる娯楽を超え、現実世界の「自己概念(Self-concept)」を劇的に向上させるツールであることを明らかにしました。研究チームは、この現象を、臨床的なセラピーが日常生活の中で自発的に発生している状態になぞらえ、「野生の演劇療法(Drama therapy in the wild)」と呼んでいます。
キャラクターを「別の人格」と捉えるほど、心は成長する

TRPGにおいて、プレイヤーがキャラクターをどう定義しているかは、心理的恩恵の大きさを左右する重要な鍵となります。本研究では、プレイヤーとキャラクターの関係性を以下の4つに分類しています。
- オブジェクト(Object): 画面上の駒や、勝利のための道具として扱う。
- 拡張(Extension): 自分自身の能力や願望を投影した延長線上として捉える。
- 共生体(Symbiote): 自分とキャラクターのアイデンティティが混ざり合っている。
- 独立した存在(Distinct other person): 自分とは切り離された、独自の意思を持つ他者として扱う。
特に注目すべきは、「独立した存在」としてキャラクターを捉えることの効用です。キャラクターを自分とは別の人間として扱うことで、プレイヤーは「臨床的な投影」に近い心理状態を作り出すことができます。つまり、キャラクターが直面する困難や葛藤を少し離れた場所から観察し、ケアすることができるのです。これにより、自分自身の生身のプライド(自己防衛メカニズム)を脅かすことなく、感情的な対立を整理・解決することが可能になります。
その結果、現実世界における自尊心や帰属意識、人生の意味だけでなく、目標を達成する能力を信じる「自己効力感(Self-efficacy)」が顕著に向上することが示されました。スノッドグラス教授は次のように述べています。
「テーブルトークRPGの設定において、想像上のキャラクターと高度にパーソナライズされた絆を築くことは、プレイヤーの現実世界における自己意識を向上させることができます。このような遊びは、患者が想像上の状況や物語の中に自分を投影し、感情的な対立などを解明・解決することを目指す『演劇療法』のような臨床的アプローチに似ているのです」
デジタルゲームにはない「TRPG特有」のセラピー効果

ビデオゲーム(RPGやFPSなど)も高い没入感を提供しますが、アイデンティティ形成への恩恵という点では、TRPGの方がより大きな可能性を秘めています。
その決定的な理由は、「台本のない即興性」にあります。多くのデジタルゲームでは、アバターの外見や選択肢はあらかじめプログラムされた範囲内に制限されています。一方で、TRPGの根幹は「即興的な対話」です。無限の自由度の中でキャラクターを造形し、予測不能な状況に言葉で対応していくプロセスは、プレイヤーとキャラクターの間に、構造化されたゲームでは到達し得ない深い感情的な結びつきを生み出します。この「制限のなさ」こそが、深い自己探求を可能にするのです。
「ブリードアウト(感情の流出)」:安全な実験場としての物語

心理学には、ゲーム内で学んだ感情や教訓が現実世界へと溢れ出し、実生活に影響を与える「ブリードアウト(Bleed-out)」という概念があります。
TRPGは、特にクィアのゲーマーや、自身のジェンダー・アイデンティティを模索している層にとって、新しい自分を試すための「安全な実験場」として機能しています。しかし、このポジティブなブリードアウトを享受するには、絶対的な条件があります。それは、ゲームをプレイする環境が「安全で社会的にサポートされていること」です。
もしグループ内に悪意や無理解があれば、負の感情が現実に流出するリスクもあります。信頼できる仲間との絆に守られた「安全な空間」があるからこそ、プレイヤーは安心して未知の自分をさらけ出し、その経験を現実の糧へと変換できるのです。
あえて「欠点のあるキャラ」を演じることで得られる自己慈愛

興味深いことに、熟練したプレイヤーほど、必ずしも「完璧な英雄」を演じるとは限りません。中には、現実の自分が嫌っている短所をあえて持たせたキャラクターを作成する人々もいます。
なぜ、不愉快な特性を演じるのでしょうか? ここには、高度な「自己慈愛(セルフ・コンパッション)」のメカニズムが隠されています。プレイヤーは、欠点だらけのキャラクターが苦しみ、もがきながらも進んでいく姿を「世話(ケア)」し、支え続けます。この「不完全な他者(キャラクター)を慈しむ」という経験が、鏡のように自分自身へと跳ね返り、現実の自分の欠点に対しても寛容な心を持てるようになるのです。
十年来の絆:共有された物語が作る「社会的継続性」

TRPGの恩恵は個人の内面だけにとどまらず、強固な社会的ネットワークを構築します。共同作業で一つの物語を紡ぎ続ける「キャンペーン」は、時に数十年にも及ぶことがあります。
調査では、数十年続くグループの中で、互いに育児を分担したり、一生ものの友情を育んだりしているケースが多く見られました。この「社会的継続性」は、単なる趣味の集まりを超えた深い帰属意識を生み出します。共に困難を乗り越えた物語の記憶が、プレイヤー同士を分かちがたい絆で結びつけているのです。
冒険の終わり、そして新しい自分への問いかけ
今回の研究は、TRPGが単なる「現実逃避」ではなく、「現実をより良く生きるための高度なシミュレーション」であることを立証しました。
スノッドグラス教授らのチームは今後、この知見をさらに推し進め、ゲーム内での暴力的な脅威や社会的葛藤のシミュレーションが、現実のストレス対処や感情調節のトレーニングにどう応用できるかを研究する予定です。架空の世界でリスクなく「困難を乗り越える練習」をすることが、私たちのレジリエンス(精神的な回復力)を鍛える鍵になるかもしれません。
もしあなたが、今の自分に足りない「勇気」や「慈悲」を、安全に試せる場所があるとしたら――。あなたは次にどんなキャラクターをまとい、どんな冒険の一歩を踏み出しますか?

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